SSブログ

太陽と月に背いて [映画感想 た行]

太陽と月に背いて

太陽と月に背いて

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 1998/11/25
  • メディア: DVD


映画タイトル:太陽と月に背いて
初公開年月 :1996/10
監督:アグニエシュカ・ホランド
脚本:クリストファー・ハンプトン
出演:レオナルド・ディカプリオ  デヴィッド・シューリス  ロマーヌ・ボーランジェ  他
   
■2006.9.12(火) 本日の一言■

先々週頃のお弁当タイムから、懐かしの少女マンガの話題にやたらと花が咲き、
各自の所得している少女マンガが女性社員たちの間を行き来するようになった。
『ベルサイユのばら』『キャンディ・キャンディ』、『はいからさんが通る』
『生徒諸君』やら『ガラスの仮面』『BANANA FISH』etc・・と
話題は尽きることがない。貸し借りにともない、それらとはまた別にその当時
流行していた少女マンガの話題もでてくるようになった。
特に『トーマの心臓』や『風と木の詩』といったような同性愛を扱った
マンガの思い出話は、当時 秘密にしていたことを公にするような楽しさで、
皆が大いに盛り上がった。
「親に隠れて、こっそり読むようなマンガだったよねぇ」
「友達の間でも、おおきな顔をして『風と木~』を読んでますとか言えなかったよね」
そんなこんなの話題から、次第に会話は同性愛をテーマにした映画の話題は移り、
仕事仲間のSちゃんが、大のディカプリオのファンであり同性愛をテーマとした映画、
『太陽と月に背いて』のDVDを所持していたことが判明したのである。
こうまで熱心に思い出話を語っただけに、そのDVDは全員の間で回し観ることになり
やっと時間がとれたので、私も初鑑賞することとあいなった。

あらすじは、以下のような感じだ。
詩人の志望のランボー(レオナルド・ディカプリオ)は、自分の書いた詩を
既に詩人として成功していたヴェルレーヌ(デヴィッド・シューリス)へ
手紙とともに書き送る。ランボーの詩を読んだヴェルレーヌは、まだ世間に認められて
いないランボー才能をいち早く見抜き、彼の自宅のあるパリへ呼び寄せることにする。
しかしヴェルレーヌの屋敷に現れたランボーは、マナーを知らず、凶暴な言葉を吐き、
平然と泥棒癖見せるのだった。ヴェルレーヌを除いた家族たちは「屋敷にランボーを
置いてはおけない」と言い、ランボーを家から追い出してしまうが、ヴェルレーヌは
妻子を捨ててランボーを追い、そのまま二人で放浪の旅に出るのだった・・

さて・・感想である。
★以降、ネタバレしていきますよ★

この映画は公開当時、多少の話題は雑誌に載ったはものの、日本で上映されたのは
小さな映画館で、まさにこっそりという感じで公開されていたことを思い出す。
映画の内容は、後に夭折の天才詩人と世間を騒がすランボーと詩人ヴェルレーヌの
逃避行旅行、二年間の日々と別れの物語である。
詩を作る才能が素晴らしいというふれこみで、ヴェルレーヌはランボーを愛し、
妻子を捨てて共に流浪の民になるのだが、ランボーが生み出す詩自体の素晴らしさが、
この映画から語られることがないので、ただたんにランボーという人物は小悪魔的で
笑みを浮かべては、身勝手な行動と言葉でヴェルレーヌを痛めつけては快感を得るという
サド気質の少年としてしか、私には写らず、また一方のヴェルレーヌの方も
ランボーに毒される以前から、鬱屈したモノを抱えた人間のように見える。
妻の体内に宿る子供の鼓動に喜ぶ気の弱そうな男でありながら、妻からランボーの事を
非難されると酒の力を借りて本音と暴力を辞さない男であり、暴力を振るった後は、
ヨヨヨと後悔の念に泣き崩れるという、しょうもない性格をしているのである。
そのヨヨヨという、気の弱さをランボーにつけこまれ、旅の途中も言いたい放題の
やりたい放題をされるわけだが、このヴェルレーヌは、その状態がまんざらイヤでもない
マゾのような気質を見せるので、私は映画を観ている途中から、この映画は才能に惚れた
男同士の愛憎の物語ではなく、サドとマゾのカップルが逃避行をし、サド少年がマゾに
愛想を尽かし、マゾが別れを許さなかったゆえの殺人未遂事件を描いた映画のように
感じるのだった。私が予測していた映画の流れは、天才で尋常を逸したランボーを
愛したヴェルレーヌが己の才能を食い尽くされ、次第に彼に毒され、破滅の道を転がり
落ちてゆくものを想像していたのだが、かなり様相は違っていた。
二人の葛藤も痴話ゲンカのレベルだし、なんだか天才という触れ込みのわりには
低レベルな争いだなぁ・・(--;;)と眉間にシワが入ることも度々である。
よってヴェルレーヌが同性愛の罪ゆえに刑務所の厄介になったことにも、同情の念が
出てこなかったし、ランボーがアフリカの地で、若くしてガンに侵され死んだとしても、
やりたい放題をしたのだから、まぁこれも運命、仕方ないのではないか・・という
冷めた気分でエンドロールを見送ることとなった。

次に俳優の感想である。

天才詩人と称されるランボーを演じた、レオナルド・ディカプリオ。
映像を見て、まず「若いなぁあ!痩せてるなぁ!」(◎◎)
ビックリ&この頃の体型に戻ってくれんもんかなぁ。の、連呼である。
今回は、苦悩する役どころというより、身勝手な少年の役どころだったので、
最近よく目にする彼の眉間にシワを寄せる演技が目立たず良い感じである。
イジの悪い目つき、甘えかかえるしぐさは、この映画のランボーの設定には
ぴったりとハマっていたのではなかろうか。拍手である。

次、ランボーの出現により、人生を狂わされた詩人ベルレーヌを演じた
デヴィッド・シューリス。
とにかく、イカれ切った役どころゆえ、クネクネしながら、オイオイ泣いたり、
怒りくるったり、猫撫で声をだしたり、すがりついたり、打ちひしがれたり、と
映画の中では大忙しの演技ぶりに、観ているこちらは口が開くばかりである。
その気味の悪い人格を見事に演じきっているゆえに、映画で印象にのこったのは
ディカプリオのランボーではなく、デヴィッド・シューリスの演じたベルレーヌで
あると言ってもよいだろう。儲け役とはいえ、久しぶりに怪演する役者さんを
観たような気がした。最近は脇役を務めることが多いようだが、この映画を観た
おかげで、彼の名前をクレジットの際には探すことになるように思う。
本当に頭がさがるような演技だった。お見事である。

映画の全体的な感想を書いておく。

俳優は揃っているし、演技も申し分ない。設定もランボーとヴェルレーヌという
有名な詩人の事件を扱った映画である。それなのに、肝心要の二人を結びあわせた
詩については一切、描かれおらず、二人の葛藤もボケてるし、別れもズルズルしていて、
いったいこの映画は何が言いたいのか?よくわからない・・というのが正直な感想である。
色々と詰め込みたいのに、2時間では二人の生涯は描ききれないといった、もどかしさを
感じる映画でもあった。私としては、安っぽい恋愛沙汰だけでなく、もっと二人の才能に
関することを掘り下げて欲しかった。
しかしディカプリオ ファンや、若かった頃のディカプリオの演技を観たい!という人には、
多少の衝撃はあるにせよ、観ても損はないかもしれない。
ディカプリオ通になりたい方には、お薦め??の映画である。・・・(^^;;;;;;;;;)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(3) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 3

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。